日本三大秘境の一つ、宮崎県にある椎葉村には、弓の名手の那須与一の弟の那須大八郎と鶴富姫にまつわる伝説があります。
源平最後の合戦といわれる壇ノ浦の戦いが発端となった悲しい恋物語。
鶴富姫伝説ゆかりの地、椎葉村を巡ってきました!
日本三大秘境の一つ宮崎県椎葉村
宮崎県の椎葉村(しいばそん)は、岐阜県の白川郷、徳島県の祖谷と並んで日本の三大秘境と言われています。
三大秘境の一つ、宮崎県の椎葉村を観光しました。
宮崎空港から、とても曲がりくねった山道沿いに進むこと2時間半ほど。
宮崎県の椎葉村の中心に位置する鶴富屋敷(つるとみやしき)に到着します。
椎葉村に伝わる鶴富姫伝説の主人公、那須大八郎と鶴富姫の像がお出迎え。
鶴富屋敷には無料駐車場があります。
ちなみに、鶴富屋敷の近くには売店の他、車で数分の距離にエーコープ(スーパー)やガソリンスタンドもありました。
さすが三大秘境というだけあって、良い意味で観光客が多くないため、自然が豊かな秘境の村という空気がただよっています。
椎葉村に伝わる平家の伝説
椎葉村は源平合戦にまつわる恋物語の舞台となっています。
地元のお店や博物館、神社などでその伝説の紹介文がありましたが、断片的だったので物語としてまとめてみました。
ゆかりの地を観光したときの写真も載せています。
椎葉村の伝説の始まりは壇ノ浦の戦い
壇ノ浦の戦いで勝ったのは源氏側。
負けた平家は源氏に殺されないように散り散りに逃げていきました。
平清盛の親戚である鶴富姫(つるとみひめ)とその一行も、険しい山々をいくつも越えたりと道なき道を命からがら逃げていきます。
そして壇ノ浦の戦いのあった山口県から、宮崎県の山奥の椎葉という地にたどり着きました。
「ここまで逃げれば源氏も追ってこないだろう」
と、鶴富姫や落ち武者一行は椎葉に村を作り、生活を始めます。
一方の平氏に勝った源氏側総大将の源頼朝は、
「平家が生き残っているうちは逆襲されるのでは…。」
と考えます。
そこで平家の生き残りを全滅させようと、逃げた平家たちの行方を探し出します。
そして椎葉村に住みだした平家の生き残りである鶴富姫達の存在も源頼朝にバレてしまいました。
椎葉村と那須家
「宮崎の椎葉村に行き、平家の残党を打て!」
と家来の那須与一(なすのよいち)に号令をかけます。
那須与一は、壇ノ浦の戦いにて波で揺れ動く船の上の扇を射抜いたことで有名な弓の名手です。
しかし与一は病気にかかっていたので追い打ちはできません。
そこで、与一の弟の那須大八郎(なすのだいはちろう)が与一の代わりに椎葉に行くこととなりました。
那須大八郎は関東の鎌倉から宮崎の椎葉村まで部下を引き連れて行軍します。
そしてやっとこさ椎葉村にたどりつきました。
椎葉村に着いた那須大八郎は、付近に潜んでいるであろう平家を探すために椎の木の葉を屋根につけた簡素な拠点を建てました。(このため、椎葉村と呼ぶようになったそうです。)
那須大八郎と厳島神社
との部下の一報を聞き、
「それは平家の残党に違いない!」
と早速その集団を倒しに向かった那須大八郎。
しかし、向かった先には畑を耕しながらひっそりと暮らす平家たちがいるばかり。
彼らは誰も刀を研いだり武術の鍛錬をしたりしていませんでした。
これを見た那須大八郎は、
「彼らはここで余生を農耕して過ごすばかりで、源氏を再び討とうとする意志は全く無い」
と感じ、源頼朝に命じられた平家追討を独断で中止してしまいます。。
那須大八郎は武士から農民になった平家残党を哀れみ、彼らに畑の作り方を教えたり、一緒に農耕したりするようになりました。
さらに、平家の守り神である厳島神社を椎葉村にも建てて、平家達の悲しみを取り除いたりもしました
その厳島神社がこちら。
鶴富屋敷から徒歩数分のところにあります。
山の中腹に建てられた厳島神社は、本家広島県の厳島神社とは異なり鳥居と社のみの結構小さめな神社です。
しかし、広場があったり、相撲を取るための土俵があったりと、武士から農民となり、一日一日を質素に暮らすことになった平家の憩いの場になったんだろうなというのが感じられます。
また、社は真っ赤な朱塗りに塗り替えられており、とても綺麗でした。
鶴富屋敷と鶴富姫
那須大八郎と鶴富姫はかつての源平の敵だった仲。那須大八郎の主である源頼朝にバレれば命はありません。
しかし大八郎は鶴富姫との暮らしを取り、鶴富屋敷に住み始めます。
鶴富屋敷は昭和31年に国指定重要文化財に指定されています。
平屋ですが、家の長さはなんと25m!
寝室や土間など5部屋が横つながりとなっています。
鶴富屋敷に隣接した宿屋があり、なんと国指定重要文化財である鶴富屋敷の囲炉裏で食事をできるそうです!まじか!
(今回は泊まりませんでしたが、ぜひ泊まってみたい!)
那須大八郎と八村杉
「椎葉村にいた平家は一人残らず討ち果たしました」
と嘘の報告をした那須大八郎。
それから3年の月日が流れ、鶴富姫は那須大八郎の子を身ごもります。
那須大八郎や平家残党は大喜びしました。
しかしそんなある日、源頼朝から
「3年も経ったのだからすぐに鎌倉まで帰ってこい」
との命令をされてしまいます。
鶴富姫と永住する覚悟だった大八郎ですが、命令に従わないと不審に感じた源頼朝から新たな兵を差し向けられるかもしれません。
そうなっては、平家残党を討伐したとの嘘がバレてしまいます。
そこで泣く泣く鶴富姫と別れ、鎌倉に戻ることにしました。
椎葉村から鎌倉に戻る日に、大八郎は杉の木を植えます。
そして鶴富姫に
「私は遠い鎌倉へ向かうが、このスギが枯れない限り私はそなたを愛し続けていると思ってくれ。
そして生まれてくる子が男なら鎌倉に寄越し、女の子なら椎葉の地で育てなさい」
と言い、我が子の証となるようあまくにの太刀と那須の系図の2つを託しました。
那須大八郎が植えた杉の木は、800年たった今でも枯れずに育っています。
八村杉と呼ばれ、十根川神社に祀られています。
(大きすぎて写真に収まりきりませんでした)
樹齢800年の杉の木はその高さなんと54.4m!
小学校の25mプール2つ分の高さを誇ります。
まさに圧巻の一言。十根川神社には他にも巨木が生えていますが、八村杉は群を抜いて太くたくましいです。
那須大八郎の鶴富姫への愛は今なお続いているのでしょう。
八村杉の詳細はこちら。
鶴富姫と那須家
鶴富姫は大八郎の言葉通り女の子を椎葉村の鶴富屋敷で育てます。
そしてその子に婿を取り、大八郎の姓である那須を名乗らせました。
それ以降、那須家が椎葉村を統治したと伝えられています。
まとめ
宮崎県椎葉村には源平の壇ノ浦の戦い以降のお話である、鶴富姫伝説が語り継がれています。
鎌倉に帰還した那須大八郎のその後は語られていませんが、鶴富姫と再開できていたらいいですね。
鎌倉時代の恋物語に思いを馳せつつ、宮崎県椎葉村を巡ってはいかがでしょうか。
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