北海道

【小樽散策】小樽の歴史に思いを馳せながら歴史的建造物や銀行街を散歩した話

小樽は北海道の一大観光地ですが、北海道の歴史の中心でもありました。

ニシン漁や石炭貿易で賑わった小樽は「北のウォール街」とまで言われるほど金融が発達し、数多くの銀行が乱立しています。
今でも当時の銀行などの歴史的建造物が残っています。

私も株をたしなむ身として、歴史を紐解きながら小樽の銀行街を散歩してみました。

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小樽の歴史

小樽を繁栄させたニシン漁

江戸時代後期:ニシン漁が発達

小樽では江戸時代後期からニシン漁が盛んでした。
魔女の宅急便の有名な
「あたしこのパイ嫌いなのよね」
の「ニシンのパイ」のニシンです。
小樽 歴史

江戸時代ではニシンは食用よりも、作物の肥料として使われていました。
北海道は広大な大地で綿花や菜種などを栽培しており、肥料となるニシンはとても需要があったそうです。

大正時代:ニシン漁と小樽運河

小樽港を基点としたニシン漁は膨大な利益を上げる財源となり、取り扱うニシンの量も膨れ上がります。
そのため、大正12年(1923年)には海から採れた大量のニシンを倉庫までより効率的に運搬、貯蔵するための小樽運河が開通します。
全長1140m、幅40mの人工運河です。

合わせて、運河沿いの倉庫街も発達していきました。

昭和時代:小樽運河の衰退とその後

小樽運河は、戦後にふ頭が整備されて運河の役割が終わるまで、玄関口として働き続けました。

小樽の発展を中心になって支えた小樽運河ですが、昭和になると小樽市内の車の渋滞が慢性的になったため、運河の埋め立て計画が持ち上がります。

賛成派と反対派の意見調整に難航したものの、昭和61年(1986年)に、
臨港線に沿った部分は20mに埋め立て、
北部(通称:北運河)は当初のまま40mにする
という折衷案が採用されました。

反対派がいなかったら小樽運河そのものがなくなっていたかもしれません。
地元の利便性を取るか、歴史的建造物を残すかは小樽に限らず難しい問題です。
小樽運河

石炭輸送の鉄道「手宮線」

明治時代:北海道初の鉄道開通

江戸時代が終わって明治時代になると、明治政府は北海道の開拓に本格的に着手し始めます。

開拓の拠点は北海道の中央に位置する札幌に置かれました。
囲碁でいう天元ですね。未開地ににらみを利かせます。
北海道
地図で見ると札幌よりも富良野の方が真ん中に近い気もします。。。

札幌周辺には炭鉱がありました。
炭鉱を掘り起こし、石炭を本土まで輸送するための輸送網が必要となります。
そこで政府は国家予算を投入し、札幌-小樽間に鉄道を建設しました。
小樽から船で運ぼうという算段です。

そして明治13年(1880年)に北海道初となる鉄道、手宮(てみや)線が完成しました。
全長100kmにもなる長距離鉄道です。

手宮線は当初の予定通り石炭を運ぶだけでなく、小麦や動物の飼料など、さまざま商品が一緒に運ばれました。

品物が集まる場所は人も集まるので街全体が発展していきます。
小樽は国内やロシアへニシン漁や石炭を輸出することでどんどん大きくなりました。
小樽 線路

現在:手宮線跡を散策

手宮線は道路網が拡充して鉄道の需要がなくなる昭和60年まで利用されました。

今でも当時の線路があちこちに残っています。
小樽 線路

ねこ
ねこさん
活気あるころはガタンゴトンと何往復もしたんだろうなあ

と想像が膨らみます。

線路に沿って散歩するだけでもワクワクしますよね。
脳内に流れるはスタ~ンバ~イミ~♪
小樽 線路

「北のウォール街 」となった小樽

明治時代:金融業の発達

ニシンや石炭、さらには飼料や豆などの穀物が小樽に集まるようになると、
それぞれを貨幣や物々交換するための交換レートが必要になります。

そのため、相場を扱う金融市場も形成されるようになりました。

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金融といえば銀行。
明治9年(1878年)に小樽初の銀行支店である旧第四十四銀行小樽支店が開設されます。
鉄道開設は 明治13年(1880年) です。
その2年前には銀行第一号が進出しているので、ニシン漁やロシアとの貿易だけでもかなりの商品のやり取りがあったことが伺われます。

大正時代:日本銀行も北海道入り

その後も数々の銀行が続々と北海道入りを果たします。
さらには明治45年(1912年。大正元年)になると、銀行の親玉である日本銀行まで北海道に小樽支店を開きました
小樽 銀行

遠い本土からの支援では、小樽の金融市場を回しきれなくなったのでしょう。
小樽大盛況。
数多くの銀行がひしめき合い、商品相場が白熱した小樽は、いつしか北のウォール街と呼ばれるようになります。

現在でも小樽市内には銀行の建物が多く残っています。
小樽に銀行が多いのはこんな理由があったんですね。

小樽にある銀行

小樽の金融人気に乗っかるべく多数の銀行がやってきました。

今では銀行としての運営を行っていませんが、
建物を再利用し、資料館やカフェ、ホテルなどを運営している建物もあります。

小樽にはそのような旧銀行が多数あるので、散策するのも楽しいです。
有名所を一部ご紹介します。

日本銀行旧小樽支店

日本の銀行の親分である日銀の支店だけあって、堂々たる玄関です。
小樽 銀行
日本銀行旧小樽支店は明治45年(1912年)に竣工。
東京駅を設計した辰野金吾、その弟子の長野宇平治が建物の設計を担当しています。

小樽 銀行
煉瓦造であるが外装を石造風の装いにまとめている。ドームの曲線と重厚な外観が調和してひときわ荘重な姿を誇っており、小樽を代表する建造物である。
(看板の説明文)

建物そばの看板には説明文があるので、事前知識なくぶらり散策しても

ねこ
ねこさん
ほほん

となんだか賢くなった気分になれます。

2階建ての造りです。
ベージュの外観がとてもきれい。
小樽のきれいな青空を背景にするとインスタ映えもしますね。
小樽 銀行

屋根には八幡製鉄所製の鉄骨が使用されているそうです。八幡製鉄所というのも歴史を感じますよね。

中は無料で入れる金融資料館になっています。
小樽 銀行
 ■日銀の業務説明のパネル展示
 ■実際に使用していた金庫の見学
 ■1億円分の重さを体験できるコーナー
などがあります。

旧北海道銀行本店

日本銀行小樽支店と通りを挟んだ向かい側にあります。
小樽 銀行
日本銀行小樽支店と同じ年の明治45年(1912年) に建てられました。
設計は日本銀行小樽支店を設計した辰野金吾の弟子の長野宇平治。

窓枠や壁の突出したレンガ調がおしゃれです。
今は建物の一部を飲食店に改装して、
「ワインカフェ&ショップ 小樽バイン」
という名で営業しています。
小樽 銀行

旧三井銀行小樽支店

日本銀行旧小樽支店から3分ほどのところにあります。

建築は昭和2年。
日銀などからは少し遅めの建設です。
小樽 銀行

正面の外壁に石積みの5つのアーチを連ね、軒に彫刻を施したルネサンス様式の建物です。石は岡山県北木島産の花こう岩です。内部は吹き抜けに回廊が巡り、天井に石膏彫刻の模様が飾られています。
関東大震災(大正12年)後に耐震構造の指針となった最先端の構造(鉄骨の周りに鉄筋を配してコンクリートで固める)が用いられました。設計は曾禰中條建築事務所です。
平成13年には三井住友銀行となりましたが、翌年、支店統合のため営業を終えました。
(看板の説明文)

説明文にある石積みのアーチ。
巨石ならではの重厚感があります。
小樽 銀行

まとめ

小樽は寿司やガラス細工以外にも、歴史的建造物が随所にあります。
旅行のスケジュールが空いていたらぶらりと散策してみてはいかが。

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